155803つの鯱を抱いた“海鼠壁”を持つ美城「新発田城」(新潟県新発田市)|木造復元天守の城を見る

3つの鯱を抱いた“海鼠壁”を持つ美城「新発田城」(新潟県新発田市)|木造復元天守の城を見る

男の隠れ家編集部
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史料を基に忠実に再現された"木造復元天守"は日本に5城しかない。絵図や図面から天守の造りを導き出し、当時の工法をふまえて建てられた5つの天守は、見た目だけを似せたのではない。現代に「名城」を復活させるべく、関わった多くの人の思いが詰まっている。
目次

政治・経済の要所となった新発田藩溝口氏の居城

新発田城が最初に築かれた時期は不明だが、鎌倉時代初期、佐々木盛綱の血族である新発田氏の築城が始まりであると考えられる。近世城郭が築かれたのは、新発田藩初代藩主・溝口秀勝の時。

1 階の下半分が海鼠壁。雨風を防いだり、防火のための日本古来の建築方法である。

慶長7年(1602)に築城を開始し、三代藩主・宣直の時代に完成した。その後、幾度かの火災に見舞われ大きな被害を受けたが、その度に再建されたという。そして明治を迎えるまで溝口氏が十二代にわたり居城とした。

復元の史料となった明治46 年頃の絵図。

明治6年の廃城令により、表門と二の丸隅櫓、石垣を残し、城内の建造物の大半が破却。城跡は明治政府に接収された。江戸時代から現存する二の丸隅櫓が現存しており、新潟県内において当時から残る貴重な建造物となっている。

天守の屋根には 3 つの鯱があるが、その理由はわかっていない。

そして、平成16年(2004)に天守である三階櫓と辰巳櫓が復元された。現在は自衛隊の駐屯地となっているため、見学は表門と旧二の丸隅櫓と辰巳櫓のみ。見所は、瓦を貼り並べ漆喰で仕上げた「海鼠壁」。防火と防水のためといわれるが、その美しい景観は往時の姿を忠実に再現している。

しばたじょう
築城年/承応3年(1654) 
廃城年/明治6年(1873) 
構造/平山城
主な城主/新発田氏、溝口氏 
遺構/櫓、門、石垣、土塁、堀

写真提供/新発田市教育委員会

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