16098徳川大坂城の西の守りとして築城。江戸時代には民衆の力で再建「尼崎城」(兵庫県尼崎市)|〈古写真で見る失われた名城〉

徳川大坂城の西の守りとして築城。江戸時代には民衆の力で再建「尼崎城」(兵庫県尼崎市)|〈古写真で見る失われた名城〉

編集部
取り壊し寸前の尼崎城の様子。奥に4重天守があり、手前は本丸南東隅にあった武具櫓(写真:尼崎市立地域研究資料館)。
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戸田氏鉄の築城技術の見事さに多くの武将が感嘆した

優れた力量を徳川将軍に認められていた戸田という譜代大名がいた。氏鉄は武将としても優れていたが、最も得意としたのは築城技術。大坂の西の守りとして重要な尼崎城の築城を命じられ、さらに大坂城改築工事の普請総奉行を務めたほどだった。

尼崎城は3重の堀を持ち、本丸に2重の付櫓を2棟付属させた複合式の4重天守と3棟の3重櫓。その見事さに多くの武将が感嘆した。しかし弘化3年(1846)、出火によって本丸御殿が全焼する。ただ、再建は早く、家臣と領民が力を合わせた結果、出火から1年半で本丸御殿は再建されたのだった。

尼崎城 あまがさきじょう
築城年/元和4年(1618)頃 
廃城年/明治6年(1873) 
主な藩主/戸田氏鉄、青山幸成、松平忠喬 
藩名/尼崎藩 
構造/平城、複合式層塔型4重4階 
遺構/なし 
住所/兵庫県尼崎市南城内

文/相庭泰志
写真/尼崎市立地域研究史料館

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