刀匠の心技と鋼、炎、水がひとつに

鋼を赤々と燃える炉で沸かし(熱すること)、大槌や小槌で打っては折り返すことを繰り返し、硬く、すこぶる切れ味がよくなるように鍛え上げていく──刀鍛冶による、古から伝えられる「折り返し鍛錬」と呼ばれる工程だ。

白装束の刀匠や刀工たちが赤々と沸かした鋼を打つ、日本刀の伝統的な「鍛錬」。

この匠の技は、関市の関鍛冶伝承館で年に10回一般公開され、800年近くの時を経て今なお、人々の眼と心を惹きつけている。炎と鋼が融合していく光景はとても厳かだ。

関で初めて刀が作られたのは、鎌倉時代に九州の刀匠、元重が移り住んだことがきっかけと伝えられている。元重がこの地に居ついたのは、刀作りに適した砂鉄や、炉にくべる松炭、そして澄んだ水があり、刀鍛冶にとって理想の風土であったためだという。

いつしか刀匠が各地から集まり、切磋琢磨し、室町時代には関の刀鍛冶は300人以上にも膨れ上がった。「折れず、曲がらず、よく切れる」と評判の関の刀は、戦国時代には長良川や津保川の水運を生かして各地の戦場へ送られ、また刀匠たちは全国の武将に召し抱えられた。

それまで二大双璧といわれた備前を抜き、この時代に関は名刀の産地として不動の評判を築くことになる。

幾種もの砥石を使い分けて研磨し、刀が持つ刃文や地金の個性を甦らせるのが研師の仕事だ。

関の名刀匠といえば、関の孫六として知られる二代目兼元。そして、孫六と人気を二分した二代目兼定の名があがる。日本刀の愛好家でなくとも、時代小説などでこの名を耳にしたことがあるのではないだろうか。それほどに彼らの名声は高く、伝説的に語り継がれているのだ。

ちなみに孫六は武田信玄や豊臣秀吉、兼定は明智光秀、柴田勝家、細川忠興といったそうそうたる戦国武将たちに愛用されたといわれている。

このように関の刀は、実践第一の戦乱の世で隆盛を極めたが、時代が変わり江戸の太平の世になると、刀の需要は減少。

刀匠たちは生きていくために、小刀や剃刀といった刃物や、鎌や鉈などの農業用刃物に転向を余儀なくされ、さらに明治9年(1876)の廃刀令に至って、刀は日本人の生活から消えることになってしまった。一時、二度の大戦下では刀剣の軍需が上がったが、それも束の間の復活であった。

一振の刀を研ぐのにはおよそ半月を要する。

戦後、関は新たに「刃物産業」の町として生まれ変わる。欧米から入ってきたポケットナイフ、カミソリ、包丁、ハサミ、つめ切り……といった生活用刃物のメーカーが続々誕生。刀匠の血を引くプライドは、またたく間に関の刃物を有名にし、今や世界の刃物市場で関の知名度はトップに躍進している。

一方、現代において、関の刀匠の文化は廃れてしまったのか。否、美術工芸品としての刀を作るために、その技は今も受け継がれている。また、研師や鞘師、白金師といった刀に関連する専門職人も、数こそ少ないが健在だ。関の刀匠とともに燃え盛った炎は、未来永劫けっして消えることはないのだ。

刀鍛冶の仕事を知る
関鍛冶伝承館(せきかじでんしょうかん)


関鍛冶の伝統を多彩な資料や映像で紹介。併設する「日本刀鍛錬場」では、「刃物まつり」や月1回の一般公開日に、刀匠による刀の鍛造の実演を見学できる。11月8日「刃物の日」には、敷地内の刃物塚で刃物の供養が行われる。

住所:岐阜県関市南春日町9-1
アクセス:長良川鉄道「刃物会館前駅」より徒歩5分

※2013年取材

文/横山せつ子 写真/天方晴子 写真提供/関市