19156「自分を包んでくれるものが“隠れ家”なら、出会った人たちの忘れられない言葉もそうなんじゃないかな」| 竹中直人

「自分を包んでくれるものが“隠れ家”なら、出会った人たちの忘れられない言葉もそうなんじゃないかな」| 竹中直人

男の隠れ家編集部
編集部
役者、映画監督、コメディアン、アーティストと、多彩な顔を持つ竹中直人さん。芝居で見せる個性的で強烈なパブリックイメージと裏腹に、シャイで繊細な一面も見え隠れする竹中さんのルーツや転機となったエピソードを、お気に入りのダイニングバー『kong tong』で語っていただいた。竹中さんが思う「隠れ家」とは?
目次

【プロフィール】俳優・映画監督 竹中直人
1956年神奈川県生まれ。多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業。大学在学中から映画を自主制作する傍ら、『ぎんざNOW!』 (TBS)、『TVジョッキー』 (日本テレビ系)など素人参加番組で独特のモノマネ芸を披露し注目を浴びる。卒業後は青年座に入団し役者としての活動を開始。1985年にはシティーボーイズ、いとうせいこう、宮沢章夫らと演劇・コントユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成。1991年、つげ義春原作の『無能の人』で映画監督デビューを果たす。以降も、NHK大河ドラマ『秀吉』での主演から、映画・舞台、TVCMまで幅広く活躍。ミュージシャンとの親交も深く、自身のアルバム制作や定期的なライブ出演など、音楽活動も積極的に行なっている。また、2021年に劇場版映画『ゾッキ』では自身8作目となる監督作品が公開予定。

芝居とは“集中する”ということ。集中すれば、自分から解放される

ここ(『kong tong』)には、とにかく福ちゃん(オーナー・福田達朗さん)に会いたいという気持ちで来てます。カウンターで福ちゃんと映画の話をしているのが好きなんですよ。料理も全部おいしいしね。僕は、47歳までお酒が飲めなかったんです。それまでは、飲みの席とかにいても、みんな急に声がデカくなるし、普段静かな人が豹変しちゃったりする。それをつい観察しちゃうのが辛くて(苦笑)。だから、飲む場面や人と関わるのが面倒くさかった。そんな僕にお酒を飲むきっかけを作ってくれたのは、谷中敦(東京スカパラダイスオーケストラ)と大貫妙子さんのおふたり。当時、自分の映画の企画が2本も潰れて落ち込んでいたところを、強引に誘ってくれたんです。飲めるようになってからは自分を解放できて、人と話すようになりました。このおふたりがいなければ、絶対お酒は始めていないと思います。でも、僕がお酒に強くなったころに、当の谷中はお酒をやめちゃうんだけど(笑)。

もともと小さい頃から、人とコミュニケーションをとるより、家にこもって漫画とかを描いていた方が落ち着くというタイプでした。もちろん仕事でいろいろな場所に行きますけど、人に会いたい方ではないと思うし、コソコソしているのが好き。今でも自分に自信がなくて、「どうせ、俺なんか……」という思考も、子供の頃から変わらない。だからこそ「別の人になってしまえば生きていける」という感覚がずっとありました。芝居というのは僕にとって“集中する”ということで、芝居をしている瞬間は、解放されるというか、自分じゃなくなる。ただ自分じゃない人になれるというのは、僕にとって“憧れ”。今でも役者というのは憧れで、仕事という感覚ではないですね。

ギターやデッサンに“集中”していた学生時代

高校3年の時に突然『美大に行きたい』と思い始めたんです。結局芸大を二浪して、なんとか多摩美に入れました。絵を描いている時も“集中”してるじゃないですか。だから自分を忘れられる。当時は特に鉛筆デッサンが好きで、黙々とモチーフと向き合うあの時間は、僕にとって本当に夢のようでしたね。何も考えなくていいんだもん。懐かしいなぁ。

高校の頃は、油絵が好きでよく描いてましたけど、将来なりたかったのはフォークシンガー。自分で曲も書いてたし、ギターも歌も一生懸命練習していて、文化祭では3年間必ず歌ってました。当時、僕と友達で書いた曲が、ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の、神奈川地区大会でテープ審査に合格したんですよ。それで本番に向けてロック風にアレンジして、練習もたくさん積んでいざステージに出たら、アガッて歌詞が全部飛んじゃって。結局インストバンドになっちゃった……。楽屋でバンドのみんなに「ゴメンネ、ゴメンネ」と泣きましたね(笑)。ギターも、芝居や絵と同じで“集中”できますからね。自己表現というよりは、ギターを頼りに自分を込めるという感覚でやっていました。結局大学に入っても、フォークソングクラブに入って、音楽を続けてましたね。

TVでモノマネを披露。でも“何でみんな笑ってるんだろう?”

1977年、友人が僕を出演させようと『ぎんざNOW』という素人参加番組に応募したんです。村上有子って子だったかな。「おい、ありんこ。余計なことすんなよ」と言ったんだけど、みんなが出ろ出ろと言うから出てみたら、優勝しちゃった。もちろんネタなんて考えたこともなく、松田優作さん、丹波哲郎さん、ブルース・リー、原田芳雄さん、草刈正雄さん、そういった当時誰もやってなかった方々のモノマネをしました。自分では一生懸命、必死になってやっていたので「何でみんな笑ってるんだろう?」と思ってましたけど。そんな芸が一部の人には騒がれた時期がありましたね、「素人番組荒らし」って(笑)。とはいえ、父親が入れてくれた大学だったので、ちゃんと卒業しなきゃという意識はありました。誘いは来ましたけど、そのまま“芸能界”に行くという考えはなかったです。当時大学では8mm映画を作る《映像演出研究会》というクラブに入っていて、監督・脚本・主演を全部自分でやった作品を、在学中に4本撮りました。そのクラブに入った1年生の時から「役者になりたい」と思っていたので、卒業してすぐ劇団の研究生になろうと思いました。

大学を出て、青年座の試験に合格したんですけど、研究生としての授業料30万円が払えなかった。そんな時に渋谷パルコで、3分以内に審査員を笑わせたら賞金がもらえる《エビゾリングショウ》というお笑いの大会があって、主催する雑誌『ビックリハウス』の榎本了壱さんと高橋章子さんが、「絶対出るべきだ」と誘ってくれたんです。それで実際に出てみたら、なんと優勝。結局キャッシュで払えちゃったんですよ、劇団の授業料が(笑)。これはもう榎本さんと高橋さんに感謝ですね、よく俺を出してくれたなって。

思い起こせば、出会った人すべてが僕の転機って言える

人生の転機は、生きてきた中で常にあったという感じですね。お酒を教えてくれた谷中敦や大貫妙子もそうだし、『ビックリハウス』の榎本さん、高橋さんもそう。あと、小学校の担任だった萩原しづほ先生とか……。僕、協調性も積極性もない変わった子だったみたいで。面談の時、父に「お宅のお子さんはとても個性があるので、私立の中学に入れて才能を伸ばしてあげたほうがいいですよ」と話してくれたのが萩原先生。父親は区役所勤めで、私立に行かせるお金はないと言ってたんですけど、先生が「お願いします」と頼んでくれて。おかげで、大学までそのまま行ける私立中学に入れました。それなのに突然、芸大を受験したいなんて……ひどいなぁ、俺。父親にはもっともっと感謝しなくちゃ。

劇団で目立つことばかりしちゃって先輩からよく怒られました。ある意味転機ですね。準劇団員として1年くらい、『ある馬の物語』というミュージカルで学校公演を回っていたんです。その時、僕は毎回芝居を変えていました。そのたびに先輩に「毎回芝居を変えるなよ!」って言われて。このままじゃダメだという状況になり、素人時代に出ていた番組のプロデューサーを頼りに、売り込み活動を始めたんです。実はその時に、僕の名刺を作ってくれたのが当時付き合っていた彼女でね。「タケチュウ、名刺を作ってあげたよ。これをちゃんと配りなよ」って。あー、だめだ。思い出したら泣きそうだ……。そう考えると彼女も転機ですね。

その名刺を持って売り込みを始めると、プロダクション人力舎の社長だった玉川善治さんが「君は面白いから、テレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』に出てみたら?」と。それがきっかけで、27歳の夏に芸能界デビューとなったわけです。番組の司会だった横山やすしさんが、普段若手には厳しいはずなのに「お前は面白いんや」って何かと僕を盛り立ててくれたり。それも転機ですよね。そういう意味では常に「人」です。こうして思い起こしてみると、出会った人すべてが転機になっちゃうな。

心に沁みた石橋蓮司さんの言葉と、長期公演を支える僕のお守り

よく聞かれますけど、僕の中には「オン」と「オフ」という考えがないんですよ。でも強いて言うならば、「飲みにいこうぜ」と誰かを誘ってこういうお店に来ることは、「オフ」になるのかな。そうだ、この前NHKで石橋蓮司さんの楽屋を見かけたので、久しぶりにご挨拶しようとしたら撮影中で不在。仕方なく自分の楽屋に戻って静かにしていたら「トントン」とノックがあったんです。するとドアを開いて、蓮司さんが一言、「まだ生きてるぞ」。……いやぁ、かっこよかった。「お、久しぶり」じゃないんですよ。「まだ生きてるぞ」。あれは沁みたなぁ。出会った人たちの言葉で、忘れられないものってたくさんありますが、自分を覆ってくれたり、包んでくれるモノやコトを「隠れ家」というなら、こうした言葉たちもそうなんじゃないですかね。

説明: 屋内, 人, テーブル, 男 が含まれている画像

自動的に生成された説明

モノでいうと、偉そうに映画鑑賞用の部屋を作っちゃったんですが、そこに大量の映画のレーザーディスクを所有してました。27歳で生活できるようになってから、30年くらい集めてましたね。映画は映画館で観るのが一番ですが、自分にとってはLDのパッケージデザインもすごく大事。レコードと一緒で大きいし、海外盤と日本盤でデザインが違うとなれば2枚とも買ってました。もう、やんなっちゃうなぁ。でもプレーヤーが壊れちゃって、昨年LDは全部マニアの方に譲って、今はDVDやBlu-rayに囲まれてますね。

あとは、バットマンとかフランケンシュタインとかブルース・リーとか、フィギュアもいっぱいあります。バットマンは昔から大好きでしたけど、ティム・バートンがバットマンを真っ黒にしましたよね。あれを見てからフィギュアマニアになっちゃった。もうフィギュアショップには絶対行かないようにしているくらい(笑)。実はね、舞台がある時は、楽屋にフィギュアを持っていくんです。ヒース・レジャーのジョーカーとブルース・リーのフィギュアは、ここ最近の舞台ではずっと楽屋に置いてあります。昨年参加した舞台NODA•MAP『Q』なんて全65ステージもありましたが、最後までやり遂げられたのは、2人が僕にとっての神様というか、お守りのようにずっといてくれたおかげですよ。

映画『ゾッキ』が撮了。久々の監督は夢のような時間

2月に僕が監督した映画『ゾッキ』がクランクアップ。来年公開予定です。2年前にたまたま原作を読んだ瞬間「これは映画にしたい!」と直感的に思いました。何て素晴らしい漫画なんだと本当に感動したんです。「ゾッキ」はショートストーリーを集めた作品なので、まずはオムニバス形式にすると決めて、僕以外の監督として(山田)孝之と(斎藤)工に声をかけました。これも直感です。途中から、3人が監督した各ストーリーをひとつの物語に繋げた方が面白いんじゃないか、という話になり、結果的にオムニバスのように見えてオムニバスじゃない、一本の映画になっています。個人的には7年ぶりの監督だったので、撮影中はそれはそれは楽しくて、夢のような時間でしたね。今、最終的な仕上げに入ってますが、完成して終わっちゃったら、寂しいだろうなぁ。

【店舗概要】
kong tong (コントン)
三宿交差点のほど近くにあるダイニングバー。オーナーの福田達朗さんは、伝説のレコード店「六本木WAVE」で長く働いていた経歴の持ち主で、音楽や映画にも精通。首都高を見下ろせる眺望と隠れ家的雰囲気の中、上質なランチ、カフェ、お酒が楽しめる、地元民に愛されるお店。
〒154-0001 東京都世田谷区池尻3-30-10 三旺ビル5F
電話:03-5431-7329
営業時間:11:30〜20:00(新型コロナウイルス感染予防のため営業時間短縮中)

<information>
『ゾッキ』
原作:大橋裕之「ゾッキA」「ゾッキB」(カンゼン)
監督:竹中直人・山田孝之・斎藤工
2021年公開。キャスト等詳細は今秋発表予定

文/高山太郎 写真/根田拓也

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