83289冷泉家の25代当主・夫人の手ほどきによる 平安貴族たちが別邸を構えた奥嵐山で和歌の美意識に触れる

冷泉家の25代当主・夫人の手ほどきによる 平安貴族たちが別邸を構えた奥嵐山で和歌の美意識に触れる

男の隠れ家編集部
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目次

夢中になるという休息
第2回 星のや京都【京都府嵐山】

「夢中になるという休息」をコンセプトに、施設ごとの独創的なテーマで、圧倒的非日常を提供する「星のや」。国内外に展開する各施設は、その土地の風土、歴史、文化などの本質を識る喜びを滞在に織り込み、訪れた人を日々の時間の流れから解き放ちます。

嵐峡の自然に抱かれた宿で和歌に宿る日本の伝統美を学ぶ

深緑の影が映り込む渓谷の川面を、船は小さな波紋を描きながらゆっくりと遡っていく。進むほどに頬を撫でる川風は清々しく澄み、景色は静寂さを極めてくる。

岩の上で羽を休める鳥の名を聞くと「鵜ですね。夏はこの大堰川(おおいがわ)で鵜飼が行われます」と、船の速度を落としてスタッフがそう教えてくれた。

先ほどまで賑わう渡月橋(とげつきょう)のたもとにいたのが嘘のよう。そこからわずか15分程の船旅ながら、漂う空気、いや、時の流れが確実に変わっているのが感じられる。深山幽谷の趣を帯びた奥嵐山の渓谷美。やがてその渓谷に溶け込むように「星のや京都」の建物が姿を現した。

渡月橋のたもとから風情ある送迎船に乗ってたどり着く「水辺の私邸」。渓谷沿いに広がるの敷地内には、日本建築に現代の快適性を備えた客室やパブリックエリアが点在する。

星のや京都が佇む嵐山の名勝・嵐峡は、かつて平安貴族たちが別邸を構えた地。自然が織り成す四季折々の風景を眺め、舟遊びや歌詠みといった雅な遊びに興じたと伝えられている。

滴(したた)る夏の緑、艶やかに燃え立つ紅葉、凛とした雪化粧の装い……。千年の時を超え、現代においてその優雅な美意識と風光明媚な自然に浸る星のや京都でのひと時。それはまさに「水辺の私邸で時を忘れる」という圧倒的非日常を享受するということでもある。

客室はすべてが大堰川と『小倉百人一首』ゆかりの小倉山を望む圧巻のリバービュー。建物のなかには明治期創業の前身の宿のものも残されており、通された客室も百年前の伝統の意匠を活かしつつ、新たな現代技を融合させた洗練された空間だ。

正座の目線で窓の景色が眺められるという星のや京都オリジナルの“畳ソファ”に身を委ね、しばし川音をBGMに時を過ごした。

星のや京都の前身は明治期創業の旅館で、建物のなかには築100年の家屋も手を入れて残されている。伝統建築と現代の快適性を備えた空間にて、奥嵐山の四季折々の美しさを堪能できる。25室ある客室はすべてがリバービュー。

さらに嵐峡の自然に調和するように造られた庭も素晴らしく、水辺で憩う時間を演出した「水の庭」、対岸の小倉山を借景として燻し瓦で枯山水の風情を表現した「奥の庭」などがあり、敷地内をそぞろ歩いているだけでも時を忘れ穏やかな心持ちへと誘われる。

奥ゆかしく風雅な表情を持ち合わせている奥嵐山の自然美。平安貴族たちが嵐山の別邸で過ごした際、四季の移ろいを歌枕として数多くの和歌にしたためたということからも、その美しい情景に思いを馳せることができる。

今回の滞在では、その和歌を通して日本の美意識に触れられる星のや京都独自の催し『奥嵐山の歌詠み』に参加。水辺の私邸で和歌を学び詠むという贅沢な時間を過ごすことにしたのである。

講師は、平安時代から800年にわたって和歌を守り伝える冷泉家(れいぜいけ)25代当主の冷泉為人(ためひと)氏と夫人の貴実子(きみこ)氏のお二人。

冷泉家は日本の文学史上に名を残す公卿で歌人の藤原俊成(しゅんぜい)・藤原定家(ていか)を祖とし、宮中の和歌に関する行事を代々受け継いできた「和歌の家」である。

「奥嵐山の歌詠み」は冷泉家25代当主・冷泉為人氏による講座から始まる。和歌の歴史や文化などをスライドなどを交えて説明。なごやかな雰囲気が漂う。その後、貴実子氏から和歌の作法を学んでいく。

俊成は『千載和歌集』の撰者、俊成の子の定家は『新古今和歌集」『小倉百人一首』などの撰に携わった平安末期から鎌倉前期の大歌人。絢爛かつ巧緻な歌風で新古今調を代表する歌人として目され「歌聖」とも称された。

そして定家の2代後の為相(ためすけ)が冷泉家の初代となる。冷泉家は現在も京都御所の北側に家を構え、現存する唯一の公家屋敷として重要文化財に指定されている。通常は非公開だが、この催しでは2日目にその冷泉家住宅を見学することにもなっている。

星のや京都にて、そんな冷泉家当主と夫人から「冷泉流歌道」の手ほどきを直接を受けることができるのはまさに貴重な体験だろう。

まずは為人氏の講話で和歌の文化や歴史について理解を深めた後、具体的に貴実子氏による冷泉流歌道の作法や歌詠みの心得を伝授。そして参加者自身で和歌を詠み、貴実子氏にマンツーマンで添削をしていただき短冊にしたためるのである。

平安時代より決まり事を淡々と守り受け継いできたと話す冷泉貴実子氏。宮中の和歌に関する四季折々の行事も欠かすことなく今に繋いでいるという。

「西洋の芸術が人と異なる個性を表現するのなら、和の伝統文化は“私とあなたは一緒”という『型』を重視するのが根本にあります」と話す貴実子氏。和歌もこの設定された決まり事『型』があるからこそ、詠み手と聴き手が心を通わせ合うことができるのだという。

「例えば私たち日本人は『梅に鶯』で春、『紅葉に鹿』で秋の季節を感じますね。実際にその光景を見たことがなくてもそこに共感し、共通の季節を分かち合うことができ、想像を膨らませて“美しい”と感じられる。それが和歌の文化であり日本の美意識なんですね」

今回の『奥嵐山の歌詠み』のお題は「泉」。夏に詠まれる「泉」だが、「真清水」「涌きかへる」「水の綾」「松陰の岩井の水」といった型の“ことば”が意味合いと共にいくつか示されるので、初心者は気負わずまずこれらを組み合わせることから始めればいいという。

星のや京都の奥の庭に面した座敷にて、冷泉貴実子氏から丁寧な手ほどきを受ける。伝統作法にのっとり歌の綴り方、所作なども学び、マンツーマンで歌の出来栄えを添削してもらう。最後は短冊にしたためた歌を詠み上げ発表する。

木々の緑が窓に映り込む奥座敷に座し、ゆっくりと墨をすりながら言葉を吟味してみる。いつもとは異なる思考を巡らせる愉しさと嬉しさ。結果、添削を経て出来た歌は…。

「松陰の岩もる清水涌きかへる
 結ばで見るも暑さを忘る」

(松の緑陰の下に涌く清水は、手で掬わず見ているだけで涼しい)

といった内容に。歌も文字もつたないが、それもまた貴重な経験だ。

「和歌は“ことば”が表現する和の心、日本の季節感を詠んだ日本文化の源泉ともいえる美しい世界です」柔和な笑みでそう語る貴実子氏。

今まで当たり前に感じていたこと、知らずに身につけていたものの原点が、和歌の中にあったことに気付かされた星のや京都での滞在だった。

右/星のや京都ダイニングの会席料理「嵐峡の滋味」のなかで供される八寸。京都に集まる豊かな食材を活かした逸品が目と舌を愉しませる。
左/客室に用意される朝鍋朝食は出汁とともに味わう旬の野菜たっぷりの鍋がメイン。

歌詠み会の手本和歌

むすぶ手に影みだれゆく山の井の
あかでも月のかたぶきにける

慈円(新古今和歌集)

「山の井の水を両手ですくえば、映っている月影が乱れ散る面白さ。
しかし、その興も尽きないうちに月は山へ傾いて朝を迎えてしまう」

慈円(平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。藤原兼実の弟)

冷泉貴実子氏の和歌

「おり姫の別れを惜しむ袖の露
 こぼれて匂ふ初秋の野辺」

冷泉貴実子

彦星との別れを悲しんで着物の袖を濡らす織り姫の涙がこぼれ落ち、
秋を迎えた野辺に露となると詠う。

冷泉家について

平安・鎌倉の歌聖と仰がれた藤原俊成、定家父子を祖先に持ち、「和歌の家」として代々朝廷に仕えた公家で、特に定家は、星のや京都の対岸に位置する小倉山で小倉百人一首を編纂した嵐山にゆかりがある人物。

初代冷泉為相(ためすけ)から当主まで800年にわたり冷泉流歌道を継承し、現代まで和歌を守り伝えてきた。

「奥嵐山の歌詠み」

嵐山の渓谷を臨む星のや京都で雅な和歌を詠む催し。 歌詠みの前には、800年にわたり和歌を守り伝える冷泉家の25代当主・冷泉為人氏より和歌の文化や公家社会の歴史について学び、その後、夫人・冷泉貴実子氏より冷泉流歌道の手ほどきを受け、実際に参加者自身で和歌を詠み短冊にしたためる。

翌日は冷泉家住宅見学。歴史そのものに触れる貴重な体験ができる。年4回開催、次回は10月5日開催予定

星のや京都
京都府京都市西京区嵐山元録山町11-2
050-3134-8091(星のや総合予約 9:30〜18:00)
チェックイン・アウト/15:00・12:00
客室数/25
料金/136,000円~(1室1泊あたり、食事別、税・サービス料10%込)
アクセス/阪急嵐山駅より徒歩約10分、京都南ICより車で約30分

文/岩谷雪美 撮影/新井寿彦(一部写真提供:星のや京都)

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