究極の伝統製法「極真焼」を継承する禁裏御用窯元
清らかな白い磁肌にさえざえと映る、染め付けの青や繊細優美な色絵の文様。悠久の時を内包するかのような多彩な表情を持つ有田焼は、日本で初めての磁器としておよそ400年前に生まれた。
有田焼は佐賀県有田町周辺で焼かれる磁器を指し、有田は日本の磁器発祥地として知られている。歴史は17世紀初頭の江戸時代初期にさかのぼり、豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に連れてこられた朝鮮陶工の一人・李参平(金ヶ江三兵衛)が手がけたのが始まりだ。
趣ある漆喰塗りの町家が軒を連ねる有田・内山地区。その裏手の静かな小径沿いに、辻精磁社は重厚な門と屋敷を構えている。辻家が有田焼の歴史に登場するのは寛文4年(1664)。四代喜右衛門の時代には、“辻常陸大掾(つじひたちのだいじょう)”の官位を受けて「禁裏御用窯元」となり、明治時代以降も宮内庁御用達として製品を皇室に納めてきた。
御所常用の器は、「青花」という鮮麗な藍色の模様が映える染め付けが中心。なかでも九代・辻常陸(喜平次)によって発明された「極真焼(ごくしんやき)」は、他に類を見ない技術を駆使し、現在の十五代目・辻常陸さんへと引き継がれている。
その手法は、製品と同質の磁土で作った匣鉢(さや)の中に製品を入れて密封状態で焼成。そして焼成後になんと鉄槌で匣鉢を割って、取り出すのである。
生まれ出た作品の気品に満ちた光沢と、透明感のある藍色の美しさは筆舌にも尽くしがたい。「禁裏御用窯元に一切の妥協はありません」。そう語る十五代の言葉は力強く、そして迷いなどひとつもなかった。
工房を見学させていただくと、静けさが漂うなか、職人たちの手で一つひとつ下絵や上絵付けなどの作業が行われていた。染め付けの藍色に、赤絵などの色絵を施した染錦の八角皿は、牡丹文や撫子文など季節の花々が麗しい。品格ある透明感と藍色の妙。この高度な技を今に伝える老舗窯元の凄さを知ったのだった。
文/岩谷雪美