49341何を伝えていたのだろうか「清涼寺七不思議」|【武将の怪談 その6】島清興(滋賀県)

何を伝えていたのだろうか「清涼寺七不思議」|【武将の怪談 その6】島清興(滋賀県)

男の隠れ家編集部
編集部

島左近(さこん)の名で広く知られる清興は、石田三成の家臣として仕え「古今武家盛衰記」では「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」と謳われるほどだった。関ヶ原の戦いでは鉄砲により負傷、敵陣へ突撃して死んだとされるが遺体が見つかっていない。

清涼寺七不思議

石田三成の居城であった佐和山城跡の麓に建立された清涼寺。ここには触れると腹痛を起こす通称「左近の南天」や、壁を何度塗り替えても浮き出てくる月形の影「壁の月」。

かつて左近邸だった表門が風もないのに大晦日になると低い唸り声をあげる「唸り門」や、血みどろの女の顔が浮かぶ「血の池」など、三成の重臣・島左近をはじめ、関ヶ原の戦いにまつわる7つの怪現象が伝えられているのである。

【データ】
島清興
天文9年(1540)~慶長5年(1600)?

清涼寺
滋賀県彦根市古沢町1100
アクセス:JR「彦根駅」より徒歩約20分

文/野田伊豆守 写真提供/東京都立中央図書館特別文庫室所
※新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の影響で掲載情報が変更になる場合があります。

あわせて読みたい

編集部
編集部

いくつになっても、男は心に 隠れ家を持っている。

我々は、あらゆるテーマから、徹底的に「隠れ家」というストーリーを求めていきます。

Back number

バックナンバー
More
もっと見る