正月元旦の「初日の出」を拝する風習は江戸時代中期頃に江戸庶民の物見遊山から始まったとされ、「初詣」の風習は明治時代以降に東京や京都、大阪など都市部から広まったとされる。
一見、歴史が浅いように見えるものの、それぞれ起源や由来とされる行事はあったようだ。「初日の出」と「初詣」の歴史を中心に“元日の過ごし方”を振り返りたい。
旧暦の季節感
明治5年(1872)12月の「明治の改暦」まで使われていた太陰太陽暦=「旧暦」は、季節区分が決まっていた。春は1月~3月、夏は4月~6月、秋は7月~9月、冬は10月~12月とされ、年中行事は四季の変化と密接に結びついている。
平安時代を代表する作家・清少納言の『枕草子』の第三段にみえる「正月一日は、まいて空のけしきもうらうらとめづらしう、霞みこめたるに――」は「旧暦」における春の気配をあらわしたもの。現在、年賀状などで新年を「新春」「初春」などと記すのは、その名残りだ。
また、「旧暦」は月の満ち欠けをもって1ヵ月とした。そのため新月は晦日朔日、満月は十五夜とわかりやすい。毎月朔日の日の出は闇の世界から光の世界への切り替わりであり、正月元旦の「初日の出」は新しい世界の始まり、その未来を明るく照らす希望の光だった。
「昇る太陽」が運気上昇の象徴に
「初日の出」を拝する風習は江戸時代中期頃に江戸庶民の物見遊山から始まったとされる。
『江戸府内絵本風俗往来』には「高輪、芝浦、愛宕山、神田、湯島の両台等の海上を見晴せる場所には、元旦の明方になると近辺の人が集まって初日の出を拝しました。例年大晦日は何かと多忙に夜を明かし、ようやく往来の足音も途絶えた頃には、初烏が鳴きながら飛んでゆきます。古きを送り新しき迎える気持は、自然と楽しいもので、眠るには惜しい今朝の明ぼのです――」とあり、人々は月明かりのない夜道を歩き、それぞれ目的地で静かに燃える日輪を遥拝した。
その後、明治政府は幕末に定められた国旗「日の丸」を継承し、太陽暦を採用、さらに日清・日露の戦勝などを経て、昇る太陽は運気上昇の象徴のように扱われる。
やがて「初日の出」は、平安時代から伝わる「四方拝」という元旦の寅の刻(午前4時頃)に天地四方を拝する宮中行事とともに、新しい1年の豊作と無病息災を祈願する行事となった。
ちなみに「初日の出」の起源や由来を「四方拝」に求める記述を見かけるが、これらは別ものと考える。
年神の変遷
もっとも一般的で伝統的な元日の過ごし方は、家に籠もって「年神」の来訪を静かに待つというものだった。
「年神」とは人々に年玉、つまり1年の生命力、年齢を与える神様のこと。また、「年神」は祖霊であるともいわれ、平安時代、京の貴族社会では正月には死者の霊魂が来訪すると考えられており、その魂祭りが行われていたという。
「亡き人の来る夜とて、魂祭る業は、この頃、都には無きを、東の方には、猶、する事にて有りしこそ、哀れなりしか」
鎌倉幕府滅亡から南北朝の動乱の時代を生きた吉田兼好は『徒然草』の中で、当時、都では廃れてしまった祖霊を祭る行事が東国でまだ行われているのを見て、しみじみと感じ入っていた。
江戸時代になると、知識層のあいだで暦占書の一種である『大雑書』(陰陽道に基づいて、生活の指針などを民間用に平易に記述したもの)や暦書などが普及し、「年神」は「歳徳神」という神格が与えられ、よい運気をもたらす神様と考えられるようになる。
また、江戸中期頃から「歳徳神」は、その年の縁起の良い方角からやってくるといわれるようになり、人々はその来訪を待つのではなく、自ら出向いて会いにいくようになった。「歳徳神」のいる方角を「恵方」、あるいは「明の方」などといい、その方角にある寺社を参拝することを「恵方参り」という。
「初詣」の由来
「初詣」は明治時代以降に東京や京都、大阪など都市部から広まった風習で、初めて「初詣」という言葉が用いられたのは明治18年(1885)1月2日の『東京日日新聞』の記事だという。
「初詣」の由来には大きく分けて2つあり、1つは「恵方参り」で、もう1つが「年籠り」だ。
平安時代から伝わる「年籠り」は、大晦日の夜から元日の朝にかけて村や家の長がその地域の「氏神」に新年の平安無事を祈願するというもの。時代が下るにつれて「年籠り」は大晦日の夜の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」に分かれ、「元日詣」が「初詣」に変化したのではないか、といわれている。
一般的な「初詣」は元日か三が日か、正月の松飾りを立てておく「松の内」まで。この期間に行けなかった場合は「小正月(1月15日)」、あるいは「節分(2月3日)」までに詣でるのがいい、とも。もちろん、元日でも他の日でもご利益は変わらない。
もともと「年神」(歳徳神)は家で静かに待つものであり、江戸中期頃から自ら寺社へ出向くようになったものの、参拝客が元日や三が日に集中するようになったのは鉄道が発達した明治後半から。家で待つにせよ、自ら出向くにせよ、いつの時代も「年神」は毎年ひとりひとりに1歳分の年齢と、その年の幸運を授けてくれた。
全国的に新型コロナウイルスの感染は落ち着きつつあるとはいえ、2022年も元日や三が日の参拝はなるべく避けるよう呼びかけている寺社が多いという。
「初詣」に出掛けるのであれば、できるだけ分散して参拝するなど、時代に添った過ごし方を心掛けたい。
【写真】
「三重県尾鷲市天満浦にて」(撮影:水谷靖彦)
【参考文献】
・新谷尚紀著『日本人の春夏秋冬』(小学館)
・谷口貢・板橋春夫編著『年中行事の民俗学』(八千代出版)
・河合敦監修『図解・江戸の四季と暮らし』(学習研究社)
文/水谷俊樹(作家・漫画原作者)
1979年、三重県尾鷲市生まれ。現在は執筆活動のほか、歴史ジャンルを中心にマンガの企画や監修を手掛ける一方、東京コミュニケーションアート専門学校で講師を務める。主な著作に『CD付「朗読少女」とあらすじで読む日本史』(中経出版)、監修を担当する作品に『ビッグコミックスペリオール』で連載中の『太陽と月の鋼』(小学館)などがある。
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