26832経歴から辿るバンクシーの作品集~「風船と少女」や「レ・ミゼラブル」「ディズマランド」に込められた意味とは

経歴から辿るバンクシーの作品集~「風船と少女」や「レ・ミゼラブル」「ディズマランド」に込められた意味とは

男の隠れ家編集部
編集部
これまで世界のいたるところで、数々の作品を残してきた覆面アーティスト・バンクシー。印象的な作品や関連する出来事を年代別にたどりながら、バンクシー・アートを総復習しよう。
目次

“芸術テロリスト”バンクシーとは

その過激なスタイルから芸術テロリストと称されるバンクシー。彼は「イギリス出身の男性である」こと以外の公式プロフィールは出回っていない、覆面アーティストだ。

故郷・ブリストルで、公共の壁面にスプレーやフェルトペンなどを使って文字やイラストを描くグラフィティライターとしてスタートするも、2003年にイギリス・ロンドン市内で開催されたイラク戦争に反対するデモ活動への参加をきっかけに、壁面からメディア(記録媒体)へと創作活動の場を変えていく。

時には、美術館や博物館に無断で侵入して自分の作品を陳列したり、パリス・ヒルトンが発表した新作CDアルバムの偽物を制作して店頭の本物と勝手にすり替えたりなど、過激な行動も少なくない。

バンクシーは何故捕まらないのか?バンクシーは本当にアート・テロリストなのか?謎は深まるばかりだが、以下の記事で詳しく解説している。ぜひあわせて読んでみてほしい。

バンクシーが作品に込めた意味をたどる

全ての始まりはブリストルから

1974-75

■イギリス・ブリストル近郊にて誕生。

1990

■ブリストルでグラフィティ活動を始める。

1994

■アメリカ・ニューヨークにしばらく滞在しグラフィティ活動を行う。

1990半ば

■フリーハンドから、ステンシルを用いた表現へ転向する。

1999

■イギリス・ロンドンに拠点を移し、レコードカバーのデザインなどをする。
■フリーハンドによる後期の作品《マイルド・マイルド・ウエスト》を制作する。

「マイルド・マイルド・ウエスト」1999 (c) Alamy️

2001

■11月、初の自著『バンギング・ユア・ヘッド・アゲンスト・ア・ブリック・ウォール』を出版。

2002

■5月、2冊目となる自著『エグジステンシアリズム』を出版。同7月、アメリカ・ロサンゼルスにて個展「エグジステンシアリズム」を開催。
■《ガール・ウィズ・バルーン》《ギャングスタ・ラット》《フラワー・スロア》などを制作。

2003

■ロンドン市内で開催されたイラク戦争反対デモで《ロング・ウォー》などのプラカードを配り、反戦のステンシル作品を制作。
■7月、ロンドンでの環境運動の様子をもとに《ターフ・ウォー》を制作。その後、ロンドンで「ターフ・ウォー」展を開催。
■10月、ロンドンのテート・ブリテン美術館において、作品をゲリラ展示する。

2004

■イギリス・ロンドン自然史博物館、フランス・ルーヴル美術館において、作品をゲリラ展示する。
■故・ダイアナ妃の肖像を印刷した偽の10ポンド紙幣ディーアイ・フェイスド・テナーを100枚制作、ノッティング・ヒルのカーニバルでばらまく。
■3冊目となる自著『カット・イット・アウト』を出版。

「ディーアイ・フェイスド・テナー」2004 (c) Alamy️

2005

■アメリカのメトロポリタン美術館、アメリカ自然史博物館、MoMA、イギリスのブルックリン美術館、大英博物館にて作品を無断で展示。
■8月、パレスチナの分離壁にある壁画シリーズ《バルーン・ディベート》など、9点の作品を残す。
■10月、ロンドンのノッティング・ヒル近郊で「クルード・オイルズ」展を開催。ゴッホの《ひまわり》など、美術史上有名な作品のパロディを展示。また、約200匹の生きたネズミを放し飼いにして話題となる。

2006

■ブリストルのクリニックの壁面に《ウィル・ハング・ラバー》を描く。市議会で市民投票を行い、保存が決定。
■パリス・ヒルトンのアルバムCDジャケットを無断でアレンジ、店頭へゲリラ設置する。
■ロサンゼルスの倉庫にて「ベアリー・リーガル」展を開催し、全身をペイントしたゾウを展示、ハリウッドスターやセレブが訪れ話題となる。

「ウィル・ハング・ラバー」2006 (c) Alamy️
「ベアリー・リーガル」展 2006 (c) Alamy️

2007

■《ストップ・アンド・サーチ》を500枚限定のスクリーンプリントとして制作。

2008

■5月、ロンドンでグラフィティの祭典「カンズ・フェスティバル」を開催。
■ロンドン北部の薬局の外壁に《ベリー・リトル・ヘルプス》を描く。
■ロンドンのニューマン・ストリートの郵便局の壁に《ワン・ネイション・アンダー・CCTV》という文字をペイント、監視カメラの在り方に警鐘をならす。
■ニューヨークにてペットショップを装ったインスタレーション《ヴィレッジ・ペットストア&チャコール・グリル》を発表。

2009

■6月、ブリストルで「バンクシー ブリストル・ミュージアム」展を開催。入館するのに最大7時間待ちという大盛況ぶり。

「バンクシー ブリストル・ミュージアム」展 2009 (c) pedro layant

2010

■1月、初監督作品『イグジット・スルー・ザ・ギフト・ショップ』が公開。アカデミー賞にノミネートされる。

2011

■5月、ブリストルで勃発したスーパーマーケット「テスコ」に反対する抗議運動を受けて、《テスコ・ペトロール・ボム》を制作。

2012

■ポンドランド(百円ショップ)の壁面に《スレイヴ・レイバー》を描く。

「スレイヴ・レイバー」2012 www.banksy.co.uk

2013

■10月、ニューヨークで1カ月間にわたり、1日1作品を残すというイベント「ベター・アウト・ザン・イン」を行う。
(後日、映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』にてその様子が公開される)

2015

■パレスチナ自治区のガザ地区に《子猫》を描く。

■8月、期間限定のテーマパーク「ディズマランド」がイギリス・サマセット州にあるウェストン・スーパー・メアにオープンし、約15万人が来場する。

「ディズマランド」2015 (c) Alamy️

2016

■ロンドンのフランス大使館前に、ミュージカルに登場する少女コゼットが催眠ガスで涙を流す姿(《レ・ミゼラブル》)が描かれる。

「レ・ミゼラブル」2016 www.banksy.co.uk

2017

■パレスチナ自治区ベツレヘムに「ウォールド・オフ・ホテル(世界一眺めの悪いホテル)」がオープンする。
■イギリスのドーバー港にて、ブレグジット(EU離脱)を風刺した《ブレグジット》が描かれる。
■ロンドンのバービカンセンター付近に、バスキアの展覧会にあわせて、バスキアへのオマージュ作品2点が描かれる。

「ブレグジット」2017 (c) Dunk

2018

10月、ロンドンのサザビーズ・オークションハウスにてガールズ・ウィズ・バルーンが約1億5千万円で落札直後、細断される。

「ガールズ・ウィズ・バルーン」2018 (c) Radames Ajna

2019

■10月、ロンドンのサザビーズ・オークションハウスにて《Devolved Parliament(英国の地方議会)》が、バンクシー作品で過去最高額となる約13億円で落札される。

■ロンドン郊外のクロイドンにバンクシー公式のポップアップショップ「GDP」がオープンする。
■イギリス・バーミンガムの壁にクリスマスを題材にした作品が描かれる。

2020

■4月16日、「My wife hates it when I work from home.(家で仕事していると妻が嫌がる)」というコメントとともに、SNSでバスルームの壁にいたずらする複数のネズミを描いた新作を公開。

■5月6日、イギリスの「国民健康保険サービス(NHS)」が運営するサウサンプトン総合病院に《ゲーム・チェンジャー》を寄贈。

バンクシーが多用する技法、ステンシルとは?

Banksy’s Voice

8インチの距離から、
節約しながら
ステンシルに
塗料をスプレーせよ。

“腰抜けの手法”がバンクシーの個性になった

ブリストルでグラフィティの制作を始めた当初、バンクシーはスプレー缶などでメッセージや署名、図像を描く「フリーハンド」と呼ばれる方法をとっていた。しかしある時から、あらかじめ用意しておいた型紙の上からスプレーを吹きつけて完成させる「ステンシル」という技法を用いるようになる。その理由は、「捕まらないため」だった。

図像を切り抜いた型紙を壁に当て、スプレーなどで塗料を吹きつけることで、抜かれた部分の図柄を壁に転写するステンシルの技法。(写真はイメージ)

「18歳のとき、僕はひと晩かけて列車の側面に銀色のでかいバブル文字で『LATE AGAIN(また遅延)』とペイントしようとしていた。そこに鉄道警察隊が現れたので、僕は茂みの棘で傷だらけになりながら逃げた。仲間たちはうまく車まで戻って消えてしまったから、僕はダンプカーの下で滴り落ちるエンジンオイルにまみれながら、1時間以上も這いつくばったまま息を潜めていた。線路にいる警官の声に聞き耳を立てながら思ったんだ——描く時間を半分にするか、全部あきらめるか、どちらかにしないと。燃料タンクの底につけられていたステンシルで書かれたプレートをじっと眺めているときだった。この方法をパクったら、文字の高さを3フィート(90cm)にできると気づいたんだ」

《Girl with Balloon》 版画 2004年 70×50cm 個人蔵
ステンシルによるグラフィティで最初に発表された《ガール・ウィズ・バルーン》は、後に版画になって量産・販売された。

アメリカから輸入されてきたグラフィティ文化から見ると、ステンシルは正統といえるものではなかった。警察に捕まらないように事前に用意して、一瞬でコピーするように壁にスプレーを吹きかけて逃走する姿勢は〝カッコ悪く〟、フリーハンドのライターたちはステンシルの技法を「チキン(腰抜け)」の方法と揶揄している。

しかし結果的にステンシルの手法がモノクロームの知的な印象や、70年代からイギリスに受け継がれてきたパンク文化との親和性が生まれ、アメリカン・グラフィティのコピーではないバンクシーの個性として醸成されていくことになる。

《Snorting Copper》London,UK 2005年
地面を這いながらコカインを吸引する警官というショッキングな画題。トイレの壁に描かれており、国家権力を痛烈に皮肉っている。
《Very Little Helps》London,UK 2008年
子どもたちが忠誠を誓うのは、イギリス最大手のスーパー「テスコ(TESCO)」。同社の買い物袋だけがカラーになっている。
《Falling Shopper》London,UK 2011年
高級ショッピング街のビルの壁にステンシルで描かれたのは、ショッピングカートごと落ちていく女性。消費社会への警告か。

琳派も使った型紙

ステンシルの技法は、日本美術でも同様なものが使われている。たとえば、江戸時代に起こった琳派の始祖、尾形光琳はその代表例だ。右の《八ツ橋図屏風》(メトロポリタン美術館蔵)のカキツバタの図像はいくつかのパターンの型紙を使って“コピペ”したもの。型紙の手法は、着物の文様などにも使われていた。

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