バンクシーとは?その作品に込められた意味
イリーガルなグラフィティライターとして出発したバンクシーは、自らの正体を明かさずにいる。匿名で2000年代前半までは、対面の取材なども受けていたというが、現在はメールか電話のみでしか取材は受けないという。わかっているのは「イギリス出身の男性である」ということのみで、詳細なプロフィールは非公表。様々な資料を統合すると1973年頃の生まれで、イギリス西部の港町、ブリストルに生まれたというのが一般的である。
世界中のストリートや壁、都市の橋梁などの公共物にスプレーを使った独特なステンシル(型紙)技法を用いて描き去っていくという、まさに神出鬼没のアーティスト。作品は社会風刺的なダークユーモアに溢れたものが多く、時には美術館や博物館に無許可で陳列するという少々過激すぎるパフォーマンスも。
※掲載した作品の中には現存していないものもあります。作品によっては別の場所に保管されていたり、別の場所に描かれているものもあります。
「ネズミ」「風船と少女」…バンクシーの代表作
発表される度に大きな話題を呼ぶバンクシーの作品は、多くの代表作が存在する。嫌われ者のネズミを題材にした絵画を多く残しており、内1点は日本で発見され、大きな反響を呼んだ。
後にシュレッダー事件として大きく注目される風船と少女を描いた作品、約13億円というバンクシー作品のなかで最も高額で落札された作品など、作品そのものに込められた意味だけでなく、それらを取り巻く人々の反応もまた作品の価値に影響を与えている。
バンクシーの作品については以下の記事で詳しく解説している。ぜひあわせて読んでみてほしい。
▶バンクシーの作品33選|風船の少女、ネズミ、レ・ミゼラブルなど名作の足跡を巡る【作品解説】
▶バンクシーがネズミの絵に込める意味。自己投影やストリートアートの象徴か
▶バンクシーの絵の値段は?最高価格はあの作品、落札額ランキングTOP15
▶バンクシーのシュレッダー事件、仕組みと落札者、オークション作品の行方
バンクシーはなぜアート・テロリストと呼ばれるのか?
二次元から三次元へメディアを多様化させ進化
1990年、バンクシーは故郷のブリストルで、公共の壁面にスプレーやフェルトペンなどを使って文字やイラストを描くグラフィティライターとしてスタートした。
1999年頃に活動場所をロンドンに移す直前には、ブリストルで巨大壁画《マイルド・マイルド・ウエスト》を制作。愛らしいテディベアが、ジュラルミンの盾を持った警官に向けて火炎瓶を投げつけようとしている。これは、当時、ブリストルで非合法に開かれていた音楽イベントやパーティに対する警察の取り締まりを題材にしている。
この頃からすでに社会に対する批評性をもっていたバンクシーは、ロンドンに移ると、グラフィティアーティストを超え、さらに幅広い創作活動を展開していく。
その象徴的な出来事が、2003年、ロンドン市内で開催されたイラク戦争に反対するデモ活動への参加だ。ステンシルで制作した段ボールのプラカードを、デモ参加者に配布したのだ。これをきっかけに、壁面が主戦場だったバンクシーの創作活動は、二次元から三次元へとメディア(記録媒体)を変えていく。
美術館や博物館に、無許可で侵入しては、作品を無断展示して、鑑賞者だけでなく美術館や博物館の職員の目を欺き、権威主義で審美眼を失った美術機関を批判してみせた。
2006年には、アメリカのお騒がせセレブリティ、パリス・ヒルトンが発表した新作CDアルバムの偽物を制作して、店頭の本物と勝手にすり替えるという騒動を起こした。
グラフィティライターから、より広い意味でのストリートアーティストへ変貌していったのだ。
Banksy’s Voice
あらゆる有害生物防除(ペスト・コントロール)に対して
耐久性をもち、洗練された署名で
自分たちのテリトリーに
マークを付けている。
バンクシーはどうして捕まらない?
グラフィティは、イリーガル(非合法)なものであり、もし制作しているバンクシーが見つかったら、法律上は逮捕されてしまう。そのため、バンクシーがグラフィティなどを残す時は、グループで行動している可能性が高い。見張りやアシスタントを置いて、瞬時に制作をするようなシステムがあるのだろう。
バンクシーは本当にアート・テロリストなのか
バンクシーの法外な活動を、メディアはたびたび「アート・テロリスト」と称して報道する。
テロリストとは、武力や暴力、脅迫によって政治的な目的を達成しようとする人物や組織を意味する。そのため、暴力ではなく作品によって目的を達成しようとするバンクシーをテロリストと呼ぶのは、的外れだという意見もあるようだ。
一方で忘れてならないことは、バンクシーの活動は、非合法であるということ。仮に見つかれば法を犯した犯罪者として逮捕されるのだ。それは、どんなにオークション・マーケットで高額で取り引きされても変わらない。法を無視して実力行使をする姿勢や、犯行声明によって自分たちの正統性を主張し世間の関心を集めるという点では、やはりテロリストになぞらえることもできる。
では、バンクシーとテロリストの間にある共通のものとはなにか。
それは「怒り」である。これまで紹介してきたようにバンクシーの創作活動は、資本主義やアート・マーケット、国際問題に見える経済の格差や不寛容、弱者への無関心といったものを生み出してきた現代社会に向けられている。それをあくまでストリート、現代社会にとっての非合法の舞台に立ってアートを武器に批判している。それを、現代社会へのテロ行為とすれば、バンクシーは、やはり「アート・テロリスト」と呼ぶことができるだろう。
ベツレヘムの街の壁に描かれた《Flower Thrower(フラワー・スロワー)》
バンクシーが、国際問題に踏み込んで制作したグラフィティの最初期の作品に《フラワー・スロア》がある。イスラエルの軍事的支配に抵抗するパレスチナ市民の抵抗運動「インティファーダ」をモチーフにしており、バンクシーは怒りを花束という愛の象徴にコラージュし、紛争地域に投げ込もうとしたのである。
Banksy’s Voice
どんな変革も平和的な手段で
達成されなくてはならない。
さもなければもっと大きな暴力を
引き起こすことになる。
バンクシーの作品と作品認証機関
バンクシーが2008年に設立した「ペスト・コントロール(有害生物防除)」は、贋作が高額で販売される事件が横行していたことを受け設立されたバンクシー作品の作品認証機関である。この機関は、バンクシーに関する苦情を含めた問い合わせ先となっており、バンクシーの匿名性を守る役割ももっている。
告発者としてのバンクシー
壁1枚によって生まれる格差を告発する「だまし絵」
バンクシーの世界的社会問題に向けられた抗議の創作活動は、”安全地帯”だったイギリスを飛び出し、やがてグローバル化していく。
バンクシーが、国際紛争地域のひとつであるパレスチナに初めて出没したのは、2003年のこと。その2年後には、イスラエルとパレスチナを隔てる総延長450キロメートルにもなる分離壁に、9点の作品を描いた。2002年に作られた分離壁は、パレスチナ側からのテロリストの侵入や自爆テロの阻止を理由に、イスラエルが建設。しかし実際は、国際的に認められいるお互いの境界線からパレスチナの内側に侵入している。イスラエルは、国連から国際法違反と、民族自治権を侵害すると非難されても、現在もなお分離壁を建設し続けている。
8月5日、バンクシーの9点の作品が現れると、一斉に世界中のメディアが報道した。なかでも話題になったのは、壁に空いた穴や、窓、カーテンの裾の向こうに自然風景を写実的に描いた「だまし絵」だった。
分離壁にグラフィティを描き残すライターは、バンクシー以前にもいた。また、だまし絵自体の技法も、トロン・ブルイユという西洋美術の伝統的手法で、珍しいものではない。それなのに、世界のメディアが報じたのは、壁に描かれたものが、美しい南国風のビーチや、アルプスを思わせる山岳風景、青い空を背景にバケツとスコップのようなものを持つ無垢な少年など、紛争地域に似つかわしくないものだったからだ。
イスラエルは、アメリカの支援を受けて高度成長期を迎えている。一方、パレスチナは不当な軍事占拠を受けて不自由な暮らしを強いられ、経済的な格差が広がる。バンクシーは、そうした壁の向こうの現実を、グラフィティで告発したのだ。
9点の壁画をバンクシーは、イスラエル兵に銃口を向けられながら完成させたという。しかし、残念なことに、この時に制作されたグラフィティは、すべて現存していない。唯一、パレスチナの分離壁に現存するのは、分離壁をこじ開けようとする2人の天使を描いた2017年のステンシル画のみだ。高さ5メートルのハシゴを使って描かれたことで、消去を免れている。
Banksy’s Voice
この壁は国際法に違反しており、
パレスチナを世界で最大の
野外刑務所と変えてしまうものだ。
パレスチナの現実を体験できるホテルを開業
2005年の分離壁の9点のグラフィティ以降も、バンクシーは頻繁にパレスチナを訪れている。2014年にイスラエルによるパレスチナ居住区のひとつ、ガザへの大規模な軍事侵攻が行われ、1カ月半にわたる空爆で市民2300人以上が犠牲になった。その中には500人以上の子どもが含まれていた。
バンクシーは、翌15年にガザに入ると、空爆で破壊された街の壁に、愛らしく無邪気な子猫を描いた。一見かわいらしい子猫の姿を客寄せに利用して世間の目を紛争地に向かわせ、その傷あとを生々しく伝えた。
世界一眺めの悪いホテル
2017年には、高さ8メートルにもなる分離壁の正面に「世界一眺めの悪いホテル」を開業した。客室は全8室。ホテル内には、バンクシーの作品がいたるところに飾られているほか、パレスチナのアーティストの作品も展示している。パレスチナのアートシーンを支えるギャラリーの役割を担っているのだ。また、ホテルの運営に必要な地元の雇用も生んでいることなど、パレスチナに対するバンクシーの様々な姿勢を内包したホテルである。
しかし、残念なことに客室の窓から見えるのは、イスラエルとパレスチナを隔てる分離壁――。「世界一眺めの悪いホテル」は、まさにこの景色に由来している。
「ホテルの滞在客は、ここが人気の場所だからという理由で金を落としていく」と、消費社会を痛烈に批判しながらも、壁の内側のパレスチナに住む人たちの実態に目が向けられることを意図している。
Banksy’s Voice
早起きする人間が、
戦争と死と飢餓をもたらす。
バンクシーの正体とは?
ロビン・ガニンガム説か3D説か、未だ正体不明
バンクシーが10歳の頃、ブリストルの街では、ニューヨーク帰りのグラフィティライターの3Dが活躍していた。そもそも、ブリストル自体がアメリカン・カルチャーの寄港地であり、3Dに影響を受けたライターたちが切磋琢磨する、グラフィティ文化の醸成地だった。こうした作品を身近に見て育ったバンクシー少年は、グラフィティに自然と興味をもつようになった。
ブリストルのグラフィティ文化のパイオニア的存在である3Dが、バンクシー本人ではないかという説がある。3Dはのちにライターをやめて、「マッシヴ・アタック」という音楽ユニットを結成。たびたびバンクシーの活動に接近し政治的立場も近いことから、同一説が浮上している
バンクシー=3D説よりも、有力とされているのが、ロビン・ガニンガムというブリストル出身の男性という説だが、本人が認めない限り100%の確証とはいいがたい。
ブリストルの人口は46万人。それほど大きくない街(金沢市の人口とほぼ同じ)にもかかわらず、未だに正体がわからないのは不思議だ。ブリストル市民にとってバンクシーは、街のヒーローである。金持ち連中に消費されないよう、彼を守ろうと抵抗するブリストル市民の姿勢がまさに共犯関係を生んでいる。
Banksy’s Voice
学校ではみんなグラフィティが
大好きだった。
学校帰りのバスの中で
みんな描いていた
個性的なサウンドで人気「マッシヴ・アタック」
バンクシーの故郷ブリストルの音楽シーンを代表する存在は、3Dが所属するユニット、マッシヴ・アタックである。ブラックミュージックやポストパンク、実験音楽などを取り込んだ楽曲が特徴だ。3Dはマッシヴ・アタックのアートワークも手掛けており、サウンド面だけではない才能を発揮し評価を受けている。
日本で開催する2つのバンクシー展
2020年から2022年にかけて、日本では2つの大規模なバンクシー展を開催する。ひとつは「バンクシー展 天才か反逆者か」。多角的にバンクシーのメッセージや思想、表現方法の変遷を辿る体験型の映像展示や、シュレッダー事件で広く知られる《ガール・ウィズ・バルーン》、日本上陸のオリジナル作品《ノー・スイミング》などを鑑賞できる。
もうひとつは、「WHO IS BANKSY? バンクシーって誰?展」。こちらも、個人コレクターの貴重なコレクションや作品の再現展示などを行う予定だという。2つのバンクシー展を通じて、バンクシーを身近に感じては。
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